日本産業皮膚衛生協会 (事務局∥京都市、 通称・日皮協) は創立40周年に際し、2010年5月27日に京都市内のホテルで特別講演会を開催。 創立者の河合享三会長が半世紀に及んだ協会の歩みを60分間に凝縮して語ったほか、 同会長と旧知という稲盛和夫京セラ会長が特別講師として駆けつけ、 100人を超えた聴講者の耳目を奪って節目の大行事に花を添えた。
河合会長の講演は題目を 「50年間を頑固にブレることなく歩んだ一本道を振り返って」 と銘打ち、 協会の信奉そのものといえる化粧品や繊維の安全試験法 「河合法」 を確立するまでの10年間に重ねた苦労の数々を感情たっぷりに語った。
1950年に現在の京大医学部を卒業した同会長は、 2年後に河合医院を開業すると 「京都有数の皮膚科として知られていった」 (司会進行の澤木茂豊テクノーブル社長) という。 のちに縁を得て旭化成から繊維に新しい安全試験法の考案を懇願された同会長は、 以降に 「10年間、 血の出るような勉強をした。 寝られない日々のなかで自殺も考えた」 といまも鮮明な記憶について述べ、 「実証主義から180度転換し、 推定主義として (皮膚トラブルの) 天気予報と呼べる河合法を構築した」 と語った。
研究の過程で、 「失敗したユメを見ては飛び起きる」 という当時の心情は 「半分きちがいだった」 などの苦難の連続で、 そこから得た産物として同会長は 「当協会は、 40年間で約1万9000件の試験に対応してきた」 として自身の50年間を振り返った。
83歳の河合会長はこの日の直前に突然の引退を表明し、 辞意を聞いた周囲が 「辞めるなんて冗談かと思った」 (山本芳邦理事長) と戸惑うなかで最高顧問についた。 会長職は今後、 当面で空席となる。
また、 この日の呼び物だった特別講演会の1つで稲盛和夫氏が登壇し、 「人は何のために生きるか」 と題した80分間で京セラの育成経験をもとに、 人生を支配する人間の命運や働くことの動機付けなどについて静かな口調にも一人称の主張で聴衆を引きつけた。
稲盛氏はまず、 自身の定義として 「運命というタテ糸と、 因果の法則というヨコ糸が織りなすものが人生。 そう信じてきた」 として人生観について述べ、 実際にくぐり抜けた50~70歳にかけての体験をもとに 「運命はあるが変えられる。 良い考え方を持つことで結果は変わっていく」 と語った。
さらに、 講演タイトルに掲げた意味合いに直結するメッセージとして 「一生懸命に働くことが心を磨く。 働くことは金銭や生活だけが目的ではなく、 心と魂を磨くものだ」 と強い呼びかけを発した。 まとめの部分に入ると78歳の特別講師は、 「政府から依頼を受けてJALの再建をしている。 つぶしてはならないという意思で世間に尽くしたい」 と固い信念をのぞかせた。