変わる脂質栄養 国際学会「ISSFAL 2008」で、アラキドン酸が注目される
日本ブレインヘルス協会では、これまで脳の健康と脂質との関係について注目してきたが、その脂質栄養に関する世界最大の学会「ISSFAL2008」※1が、先日、米国で開かれた(2008年5月17日縲乗D22日/ミズーリ州カンザスシティ)。これまでは脂質の中でも必須脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)がテーマの中心だったが、今回は同じく必須脂肪酸である、アラキドン酸(ARA)※2などに関する複数の研究成果が発表され、話題となった。
今号のブレインヘルスニュースでは、「ISSFAL2008」で発表されたアラキドン酸に関する研究報告を紹介し、脂質栄養に詳しい九州大学名誉教授の菅野道廣氏に解説してもらった。
<「ISSFAL2008」で発表された、アラキドン酸に関する主な研究>
1 アラキドン酸は幼若ラット海馬での神経細胞を増加させる
(発表者:東北大学大学院医学系研究科教授・大隅典子)
記憶や学習に関わるとされる脳の海馬には、神経細胞の元となる神経幹細胞が存在し、生涯にわたり新しい神経細胞を生み出しつづけている(神経新生)。この神経新生には、FABP7というタンパク質が深く関与していることが確かめられた。一方、神経新生にはDHAやアラキドン酸が重要な役割を果たしており、特にアラキドン酸を摂取することによってラットの海馬における神経細胞が有意に増加することが確認された。しかし同様の実験をDHAで行ったところ、DHAでは有意な効果は見られなかった。
2 アラキドン酸は老齢ラットの海馬における神経細胞膜の流動性の低下を改善する
(発表者:東海大学開発工学部教授・榊原 学)
年をとると、神経細胞の膜のしなやかさや流動性が低下し、膜の内外での物質移動がスムーズにいかなくなるため、神経細胞の機能が低下すると考えられているが、アラキドン酸によってこれを改善できることが確認された。また記憶や学習に関わるとされる長期増強効果(LTP)は、脳の海馬における、神経細胞内へのカルシウムの取り込みに依存することも明らかになり、加齢に伴う膜の流動性変化との関連が示唆された。
3 DGLA(ジホモ-γ-リノレン酸)はマウスのアトピー性皮膚炎と動脈硬化を抑える
(発表者:サントリー(株) 健康科学研究所・河島 洋)
DGLAはアラキドン酸の前駆体で、アラキドン酸は体内でDGLAよりつくられる。アトピー性皮膚炎を自然発症するマウスにDGLAを8週間投与したところ、投与量が増えるにつれて重篤度スコアがより低減し、アトピーの症状が顕著に改善された。動脈硬化を発症するマウスにDGLAを6カ月間投与した実験でも、血清中の脂質濃度に変化はなかったものの、動脈硬化の原因とされる大動脈(血管)壁への脂肪の沈着が抑制されるなど、DGLAは動脈硬化も効果的に防ぐことが示された。
4 アラキドン酸は老齢ラットにおける血管内皮機能の低下を抑制する
(発表者:サントリー(株) 健康科学研究所・木曽良信)
加齢に伴い、大動脈(血管)組織に含まれるアラキドン酸量が減少し、血管の弛緩竏虫恕メkといった、血管内皮に依存する機能(血管内皮機能)も衰えるが、老齢ラットに2カ月間アラキドン酸を投与すると、大動脈内のアラキドン酸量が若齢ラットと同程度に回復し、血管内皮機能も改善された。このことからアラキドン酸を摂取することで、血管内皮機能が改善し、循環器系疾患の発症リスクを下げる可能性が示された。
5 アラキドン酸とDHAは高齢者の心循環を改善する
(発表者:サントリー(株) 健康科学研究所・紺谷昌仙)
DHAやEPAには、循環器系疾患の発症リスクを低減する効果が知られているが、高齢者がアラキドン酸とDHAを3カ月間摂取したところ、心循環の改善が認められた。またその改善度は、体内のアラキドン酸量の変化と有意に相関していた。一方でDHAとの相関はなかったことから、この効果は主にアラキドン酸摂取によるものであり、アラキドン酸にも循環器系の機能を改善する効果があることが示された。
6 アラキドン酸高含有油脂の摂取による体内の脂肪酸組成や血小板凝集への影響
(発表者:サントリー(株) 健康科学研究所・木曽良信)
アラキドン酸を、食事に加えてサプリメントで追加摂取した場合の、身体への影響を検討した。健康な日本人男性に、1日につきアラキドン酸838mgを含む油脂を、4週間摂ってもらったところ、体内のアラキドン酸量は一定レベルまで速やかに増加し、その後はそれ以上増えることなく、摂取期間中はそのレベルが維持された。またアラキドン酸を摂取しても、体内のDHA、EPA量にほとんど変化はなく、種々の生理学的マーカーなどにも何ら影響は見られなかった。
<DHAとは異なるさまざまな効果。サプリ等による摂取も可能>
菅野氏によると、1と2の研究は「アラキドン酸がなぜ脳の働きを良くするのか、そのメカニズムの一端」を示している。1のFABP7は、脂肪酸と結合しやすい性質を持つタンパク質で、このタンパク質がアラキドン酸の運び屋となり、神経幹細胞の核内にアラキドン酸を引っ張り込むことで、神経幹細胞の増殖が促されるのではないか、という仮説が立てられている。
2は、加齢に伴い不足しがちなアラキドン酸が補われたことで、細胞膜が若返り、カルシウムの取り込みが促進されて、学習や記憶に関わる長期増強効果が向上した、という話だが、菅野氏は「膜の流動性はリノール酸でも良くなる。カルシウムの取り込みが向上したのには、アラキドン酸から代謝される活性物質などの関与もあるのではないか」と推察する。
また3縲乗D5の研究では、アラキドン酸やその前駆体には、血管や皮膚に対する効果など、脳機の改善以外にも、さまざまな効果が期待できること、そのうちのいくつかは、DHAなどには見られない、アラキドン酸独自のものであることが示された。
最後に6は「アラキドン酸が血小板の凝集を促すのではないか、という懸念が一部にある中、比較的魚を食べる日本人では、それが起こらないことを示した有意義な研究」(菅野氏)。試験で摂取されたアラキドン酸は、1日の食事に含まれる4縲乗D5倍量に相当する。サプリメントで、この程度の量のアラキドン酸を摂取しても、身体への悪影響は特にないことが、改めて裏づけられた。
<「DHA、EPAの時代」から、「必須脂肪酸の時代」へ>
菅野氏は「ここ数年で脂質栄養の考え方は大きく変わる」と見ている。DHAやEPAなど、n-3系の不飽和脂肪酸の効果がクローズアップされてきたが、今後はn-6系不飽和脂肪酸のリノール酸、アラキドン酸を含めた、必須脂肪酸全体での検討が、重要視されるようになるという(図1)。
これまでDHAやEPAが注目された背景には、青魚に多く含まれるこれらの脂肪酸は入手しやすく、研究が進展したという事情もある。最近では、発酵技術によってアラキドン酸を高濃度含有した油脂の製造が可能になったため、今後は、これまで知られることのなかったアラキドン酸の効果が、急ピッチで解明される可能性は高い。
また従来は、n-3系ではa竏茶潟mレン酸、n-6系ではリノール酸を摂れば、DHAやEPA、アラキドン酸は、必要に応じて体内でつくられると考えられてきたが、この代謝系には多くの影響因子が関与し、実際にはあまりつくられないことも明らかになってきた。そのため、n-3系のa竏茶潟mレン酸、DHA、EPA、n-6系のリノール酸、アラキドン酸は、必須脂肪酸としてそれぞれ個別に摂取する必要があると考えられている。
とはいえ、現在、国が定める食事摂取基準では、まだ個々の必須脂肪酸ごとの摂取量は決められていない。今後の検討が待たれるところだ。
※1 ISSFAL(International Society for the Study of Fatty Acids and Lipids・国際脂肪酸・脂質研究学会)
1991年に設立。世界40カ国以上、500名以上の科学者、医師、教育者などの会員で構成される。脂質の栄養や機能に関する世界で最も大きな学会。
※2 アラキドン酸(ARA)
n-6系の不飽和脂肪酸。体の組織のいたるところに存在するが、特に記憶との関係が深い海馬を中心に脳に多く含まれ、そのため脳の機能そのものに大きく関わっているとされる。食品では肉や卵などに豊富で、食事からの摂取が必要な「必須脂肪酸」の一つとして注目されている。
注目の必須脂肪酸、アラキドン酸の実力とは?
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